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ティーポット
 空間とその中に置かれるものの関係性 <商店建築2004年7月号掲載>
........................................................................................................................御手洗 照子<MDディレクター/産地プロデューサー>
ハコのウチとソト

ここのところ、空間とそのコンテンツの関係を意識させられる展覧会に立て続けに出合った。
岐阜県にある倉庫を借りたギャラリーでは、20年近く“そこに在るもの”というテーマで、モノと空間の関係を問い掛け続けている陶芸家伊煕倉のクレイワークの新作を見た。空間の中にふと何気なくある、モノやコトを意識する彼は、最近、建築家とのコラボレーションも多い。

東京では、芸大油絵科の大学院生による4人展を学生ホールに見に行った。
フローリングの床、一部の開口部からは日の光、風が入り、人のざわめきも聞こえるという、半日常的な空間である。個人的には、ホワイトキューブ的画廊での発表より、ずっと心地良かった。彼らとは、とあるレストランの壁面で新作を発表するというプロジェクトで知り合ったのだが、日常に近い空間に作品が置かれると、見る側は、見せられるという意識なしに自発的に見ることができるのではと思う。


麻布から茅場町方面へ向かう隅田川の支流岸にある趣深い古いビルに移転したギャラリー「うちだ」では、内田剛一による陶芸の新作展があった。今回は器ではなく、独特のテクスチャーを生かした彫刻的な作品で新鮮であった。ギャラリーの窓からは川風が入り、窓辺に立つとゆったりと流れる川面が見える。その作品は、このギャラリー空間に触発されたものがあったのではと思わせられるほどだ。そういえば、少し前の話になるが、今年の2月頃だったか、代官山ヒルサイドアネックスの屋上にあるギャラリー「温室」で開かれた陶芸家、植松永次の個展も印象的だった。昼間は青空と木々の緑の中で、夜は何もない暗闇に囲まれ、ライトに照らされて見る作品群は、いつにも増して、生き生きと、周囲と交感していた気がする。時空の広がりの中の日常を感じさせる一点、そこに置かれたモノがまた、時空を越えていく。

 

展示会や店舗に見るモノと空間の関係

上記三つの展覧会を見て思うのは、空間の内外を含めたあり様が、その中に置かれるものに影響を与えるという現象は何もアートの世界だけとは限らないということ。それは店舗や展示会などにもまた、大いに言えることだと思う。日本の都市部には、地震の多いお国柄もあってか歴史のある大きな空間は少なく、今も減りつつあるということから、中々お目にかかれない。それに対し、ヨーロッパや、NYなどでは、この空間があったからこそ、このMDが生まれたと言えるような店に出合うことも多い。

先のサローネで訪れたミラノでも、そんな店が幾つかあった。車の通行量が少ない静かな大通りに面した邸宅を思わせる中庭を囲む空間で、オーナーの趣味で独断的とも言えるMDが展開される「コルソコモ」。町外れの素朴でシンプルな空間に、世界中から集められた趣味の良い雑貨が並ぶ。さらに、同じような雑貨の小売りや卸しも行うショップ「ドベッツァイ」なども、あの空間があったからこそ、あのMDと思わせるショップである。

日本でも、もっと風格のある大きな空間をショップにできる状況があれば、より骨太で面白い独自の生活雑貨の店などができそうな気がする。
展示会を例に取ると、今年の2月、東京ビッグサイトで行われた「ギフトショー」と同時開催で、ホテ
ル「クラスカ」(03年12月号)にて、「ボンド」というデザインを意識したインテリアプロダクトの見本市が初めて行われ、大きな反響を呼んだ。これなども、もし、東京ビッグサイトの無味乾燥な一角であったとしたら、出展者も、来場者の質も、違ってしまったと思われる。どこの会場を選ぶかということが、展示会のコンセプトを最も端的に表現できる手段にもなっているのである。

この様に最近、さまざまなリテールのジャンルで、空間自身とそのロケーションが、ますます、重要な意味を持ってきつつあることをいまさらながらに改めて強く感じる。空間とその中に置かれるものの密接な関係が意識されるに従って、リノベーションや、コンバージョンが盛んなこの頃、さらに魅力的な、新しい、また古くて新しい、空間が登場し、その中身にも大いに影響を与えてほしいものである。

<みたらい・てるこ>

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